ぶらぶら歩いてる。夜もいっぱい人がいる、灯りがつきっぱなしの街。あんまり来たことのない街。若い頃はあったかもしれない。でもあの頃ここはたぶんこんな雰囲気じゃなくて、ああいうでっかいビルとかもなかったからやっぱり、来たことない場所って感じしかしない。

 雑誌の取材で有里に連れられて来て、なんかやたら立派なホテルの一室でいっぱい喋らされて、写真を撮られた。あんまりああいうのは好きじゃない。昔から。来月って言ってたっけ、きっとあの雑誌の中にはおれじゃないおれの写真が並ぶんだろう。けどそういうの見てスタジアムに来る人もいるってことくらいは、それなりの年から知ってる。だからまあ、嫌だけどいちおう、やっておく。有里、怒るとコエーし。

 ホテルを出たら月が綺麗だった。そのへんのビルがネオンとかで光ってても、ちゃんと月は見える。星がない空に浮かんでるそれはなんか冷たそうで、いい感じだ。このまま車に乗って帰るのはもったいない気がして、有里に先帰ってくれって言った。ちょっと散歩して、タクシー拾って帰るから、お前は先帰んなって。有里は少しだけ考えたあと、ちゃんと帰ってきてよ、って言った。だいじょーぶ、迷子にはなんないから、って答えたらなんか、なんとも言えない顔して、溜息ついてタクシーに乗り込んで、行った。仕事熱心ないい広報だと思う。

 有里と別れてしばらく、大通りに沿ってふらふら歩いた。いろんな人とすれ違う。どっかで飲んで帰ってもいいかもな、と思った。そういえば夕飯がまだだ。そんなに長いこと話したっけ、腹へったなあって思って気づく、取材の時間が延びたんだった。だって写真のポーズがどうのってむこうが言うからさ。どんなポーズでもいい気すんのに、そうじゃないんだよなあ。どうでもいいけど。

 そのまま足を進めてたら、脇にちょっぴりそれたとこに小さな公園があるのを見つけた。腹へってんだから飯屋にでも行けばよかったんだ、なのになんかそれが気になって、そっちに歩いてた。まわりがすっごい繁華街なのに、そこだけぜんぜん違う場所って感じがして、静かで寂しくて、なんとなく惹かれる。そのへんのコンビニでタマゴサンド買って公園で食ってもいいかもしんない、なんて思って足を踏みいれたら、思いもよらないヤツに会った。

 会った、っていうか、そこのベンチに目をやったら、あ、いるなあって思った。でも別にわざわざ声かけるとかする必要もない相手。ピッチの外で会ったのなんて初めてだし。どうしようか考えてるうちにむこうがこっちに気づいて、なんでかわかんないけど名前呼ばれた。

「達海サンじゃん、こんなとこで何してんの?」

 そっくりそのままお前にそれ聞きたいかもなあ、でもあんまり興味ないかな、どうだろ。ベンチは灯りにぼんやり照らされてて、おれに話しかけたヤツは暗い中で変に浮きあがって見える。黙っててもしょうがないから、適当に返事をした。

「お前こそこんなとこでなにしてんの、持田」

 そう返したおれをまじまじと見ると、持田はなんでかケタケタ笑い出して、ベンチから立ちあがってこっちに近づいてくる。少しおれより背が高い。ずっと瞳孔ひらいてるみたいなよくわかんない眼をした持田がすぐ近くまできて、口をひらいた。

「俺んちこの近くだから、散歩。達海サンは?」
「おれも散歩、この近くで取材受けてた」


 答えると、ふうん、とつまらなそうに呟く。それから取材を受けた場所を聞かれたから、素直に名前がわかんないこのへんのでっかいホテル、って言ったら大爆笑された。こいつの笑い方って人を置いてきぼりにするなあと思う。自分の中だけで完結して笑ってる感じ。そんで、笑ってんだけどなんか、目玉だけ笑ってる感じがない。変なヤツだなあと思う。

「この近くにでっかいホテル何軒あると思ってんの?」
「んー、知らない」
「あー、まあ、俺もだけどさあ、達海サンてやっぱオモシロいよね」


 言って持田は軽く伸びをする。なんか動きが動物っぽい。獲物追いかけてサバンナとか走ってそうだ。絶対こいつ肉食だな。牙とかありそう。

「あのさあ、俺飯食いにどっか行こうと思うんだけどさ、達海サン何食いたい?」
「ソレ、なんでおれ普通に行くことになってんの?」
「俺が一緒に飯食いたいから」
「えー……お前と飯食うの?」
「えー……何その反応、オレのことキライ?」
「キライとか好きとかない、お前のことよく知んないし」
「じゃあやっぱ来ればいいじゃん、キライかどーかすぐわかんでしょ。俺今日焼肉の気分だから行こ? 何ならおごるし」
「あ、おごってくれんの? じゃあ焼肉でいいや」
「ん、じゃあ決まり、行こ」


 微妙な笑みを浮かべた持田は立ちあがると公園を出て、大通りとは逆の、人通りの少ないほうの道へと入っていく。土地勘もないしどこに行くつもりなのかぜんぜんわかんないけど、まあ別にいいと思う。どうせ腹へってたし、おごってもらえんなら焼肉も悪くない。あ、アレ飲みたい、なんだっけ、マッコリ? そんな飲めないけど。

 そんなこと考えてるうちに10分ちょっとくらい歩いてて、さっきの公園からはずいぶん離れたとこまできた。さらに奥に入った細い道、地下に下りてく階段の先の店。入口に派手な電飾の看板が立ってて、ガラス扉の向こうの店の中はものすごく韓国を主張していた。なんかポツン、ってある店のわりにはずいぶん賑わってるっぽい。かといって席がないってほどでもなさそうだった。ドアを開けるとすぐ、わずかに訛りのあるいらっしゃいませ、が聞こえる。持田があいている奥の席を指差すとおかみさんらしい恰幅のいい女性の店員が頷いて、中に入るよう促した。

 軽くしきりのある店の中は、民族音楽っぽいのが流れてる。それと一緒に、まわりの話す声が邪魔にならない程度に聞こえてきた。ああ、なんかこれは好きな感じの店だなあと思う。やってる側がこう、適度に気が利いてて、温度がある感じ。

「達海サン、何飲む?」

 ちょっと店の中見回してたら、持田に訊かれた。さっき考えてた通りに答えると、持田も同じものを注文する。それからしばらくメニュー見ながらアレ食いたいコレ食いたいみたいな主張をお互いにしたあと、マッコリが来るまでなんとなく、二人とも黙った。そこで初めて、そもそもおれはこいつと話すことがなにもないんじゃないか、と思った。

 ……気になることはある、たとえば足。平泉のおっさんが言ってたみたいな状態なら、きっとあんまりもう、こいつには時間がない。だけど、そのことをこいつに訊くとか、こいつに訳知り顔で説教するとか、そういうのはなんか違う。それは間違いなくおれの仕事じゃない。だからやっぱり話すことなんかない。お互い黙ったままで向き合ってるから、自然に目が持田に行く。

 赤っぽい茶髪。それなりに整った顔。でも持田の眼はなんかずっと、真っ黒なまんまで、見てるとどうも危ない気がした。持田の眼は、あんなにケタケタ笑ってもそこだけ笑ってない。なんとなく危ないヤツだなあとは思う。視線がかち合わないように下におろしていくと、シャツの首もとからのぞいてる鎖骨に眼がいった。あれ、なんでおれそんなとこ見たんだろう、と思ったところでマッコリが運ばれてくる。注文をして一応の乾杯をしたあと、つまみについてきたキムチをかじった。辛い。うまい。

「達海サンてさあ、住んでんの浅草のあたりなの?」
「あー、クラブハウス」
「え、ETUのクラブハウスって住めんの」
「部屋あけてもらった」
「……やっぱおもしれーの、達海サン」


 くくっ、と持田は笑って、微妙におれの近くにあるキムチの皿に手をのばす。そののびてくる手を無意識に目が追ってて、あれ、やっぱなんかおかしいな、と思った。なんかマズい感じがする。おれちょっとなんか今日、おかしい。意識を他のところにやろうとして、視線を上げたらそこで頼んでた肉がきたから、焼く作業に入ってできるだけ肉見てた。何やってんだろうおれ。

 持田もそんなに口数が多くないほうなのか、わりと静かなまんまで肉だけが減っていく。肉はうまいし、喋んなくても別に変な感じになるわけでもないし、結構楽は楽だ。ひたすら焼けた肉を口に放り込んでたらさすがに味に飽きたので、キムチにまた手をのばすと持田の箸も一緒にのびてきた。思わず持田の顔を見る。視線がぴったりあうと、持田が口もとに笑みを浮かべた。それがなんか滅茶苦茶エロい笑い方だったんで、心臓が跳ねた。あ、これマズい、ほんとにマズい。

「あのさあ」
「……」
「飯食い終わったらウチ来る?」


 持田が初めて聞く少し低い声で、囁くみたいに訊いてきた。何言っちゃってんのこいつ。おれだけかと思ってたけど、こいつもかよ。それはアレだろ、さすがにダメだろ。答えられないまま、白菜を箸でつまみ上げる。答えないままなんとなくスルーできないもんだろうか。姑息なことを考えながら白菜を噛みしめる。しばらくキムチと肉の間を箸が行き来してるうちに、時間が過ぎていって、頼んだものは綺麗に全部なくなった。追加しようにも腹がいっぱいなのでそうもいかない。先延ばしにできないところまで来たなあ、と思う。

 箸が皿に当たってカチン、と音をたてる。しばらく意味もなくそれを続けてたら、その間に持田は立ちあがって、レジで勘定を済ませてた。あーあ。もうとりあえず店を出るしかない。脱いでたジャケットを着込むとこちらも立ちあがる。出口までのろのろ歩いて、待ってる持田のとこに行った。ガラス扉を開けて階段をのぼる、その途中で持田が言った。

「達海サン、口開けて」
「……なに?」
「コレもらったから」
「飴?」
「うん、ハイ」


 持田がおれの唇にふれる。そのままゆっくり、でもこじ開けるみたいに指が口の中に入ってきて、ころん、と飴が転がり込む。その指先が離れていくのがなんか惜しくなって、気づいたら軽く噛みついてた。明らかにやっちまったな、と思ったものの、もうとり返しがつかない。静かに指が抜かれて、かわりに持田の唇が落ちてきた。とりあえず今はなにも考えたくない。目を瞑る。

 ……久しぶりにしたキスは、薄荷の味がした。